病院選びが大事③
そんなわけで、4ヶ所めの病院は、普通(?)の産婦人科の単科病院。クリニック、というよりも、規模的には病院。
まだ、人工授精や体外受精前に抵抗があった私だったので、前のクリニックからは、「じゃあ、一度ちゃんと信頼できる産婦人科で診てもらうのがいい。FSHが高いことも含めて、何か別の原因が見つかるかもしれないし。」ということで、ここへ紹介と相成ったのでした。
ちょいとハイソなイメージの某駅から徒歩10分くらい。
ここで、私はあらためて子宮卵管造影検査を依頼。
2番目のクリニックですでに実施済みやったけども、とにかくそのクリニックへの不信感がすごかったので、もう一度ちゃんと受けたい、という気持ちから。
私の外来を担当してくれたのは、そこの副院長。男性医師だけど、とっても物腰柔らかで話しやすい。私の話をちゃんと聴いてくれる感じ。その医師からは、特に勧められはしなかったけど、私が「子宮卵管造影を受けたい」とお願いする形で検査を実施してもらうことに。
検査自体はすごくスムーズでした。前のクリニックのように、パンツもはいてない状態でバスタオル巻いて歩いて検査室へ移動させられる(薄いカーテンの向こうは待合室だというのに!)なんてことはないし、検査中もやさしく声をかけてもらえたので、安心して受けることができました。
やっぱり痛いのは痛かったけれども。苦笑。
さて、結果は。
「どこも異常なし」
あらら。
じゃあなんで妊娠しない?
何が原因?
どこも悪くないのに?
いっそ、原因がなんなのかはっきりした方がスッキリするのに。。。
原因が分かれば、それに対して治療ができる。なんとかする手段がある。
でも「異常なし」じゃあどうしようもない。なんで妊娠しないのか?という問いがぐるぐると頭の中をまわる。
痛みを承知で、自分から望んでしてもらった検査なのに、終わってみてさらに気が重くなってしまった。「前のクリニックはダメなとこだった。ここならまた新しくやっていける」という期待はガラガラと崩れ。。。
でもとにかく、「しばらくはタイミング法で様子を見ましょう。子宮や卵管に異常はないし、基礎体温もキレイに二層になっているし、大丈夫だと思いますよ。」とのこと。
「ここでならなんとかなる」
その思いをもう一度持ち直して、とにかく、しばらく頑張ることにしたのでした。
病院選びが大事②
さ、引き続き、病院選びについて。
2ヶ所目の病院は「もうほんとうにいやだ!」と泣いた私。
実はこの頃、たまたま本屋さんでとある医師の著作を見つけて読んでいました。
そう、話はちょっとそれますけど、本屋さんに行くと必ず、婦人科系や、女性の健康づくり、妊活、的なコーナーをのぞいていました。大型書店じゃないとあんまし取り扱いないんですけどもね。
でも、妊活系の棚には、少ないながらもとにかくそういう感じバリバリのタイトルの本が並んでいるので、ほかの、女性の健康づくりとか、美容系の本を見ているそぶりで、人が周囲にいないのを確認してから妊活系の本をばばっとチェックしたりしてました。
今でこそ、「妊活」なんてのはかなりメジャーな感じですけど、私が治療を始めた当初は「妊活」て言葉もなかったし、そういう本もあまりなかったように思います。
「不妊治療」ということばしかなかったですよね。唯一、東尾理子さんが、自身のブログ内で「不妊じゃなくてTGPと呼びたい」という感じのことを書いてらして。著書も出されましたよね。
あ、話それましたけど、とにかくそんなわけで、誰も私のことなんか見てないのに、本屋さんではなぜかめっちゃ自意識過剰で、誰かに「わあ、この人、不妊なんだ〜〜」と思って見られてるんじゃないか、そんなふうに見られたくない、という思いにとらわれてました。
そろそろ〜〜っと歩いてそういう棚の前を通り過ぎながら、ものすごい皿の目で背表紙のタイトルをチェック!
気になるもの、参考になりそうなものがあれば、人がまわりにいないのを確認してさっと取り出し。。。
立ち読みは、ちょっと棚から離れた場所で。。。
あーあ。
今思うとほんとにおばかさんですけども、でも当時の私はほんとうに必死だった。
あの頃の私、よしよし大丈夫だよ、と頭をなでてあげたい。
さて、本屋さんで見つけたとある医師の著書の話ですね。
東京都多摩地区にある内科クリニックの医師です。ここには詳しく書きませんが、著作は何冊かあるので、調べればすぐに分かるはず。
それまで、治療に関してとにかく傷つくことが多かったし、こちらの気持ちを無視したようなクリニックの対応や、とにかく薬や検査をばんばんやるようなスタイルにも、嫌気がさしていたので、そうではない診療スタイルに惹かれました。
ついついネガティブになってしまいがちな治療中の私でしたが、凝り固まったココロにすっと入ってくるような文体、言葉遣いにも惹かれましたし。
思いきって予約を取っていざ、そのクリニックへ。
受付も、待合も、めっちゃ普通の内科クリニック。いつも産婦人科の待合で妊婦さんに混じっているのがしんどかったから、ここではちょっとリラックスできたのを覚えています。
でも相変わらず、「私は内科にかかりにきたんですう〜〜」という涼しい顔をしてみる、という。。。トホホ。
名前を呼ばれ、いざ診察室へ。
診察室には先生1人で、よく看護師さんがついてたりしますけどそういうのもなく。
めっちゃマンツーマン。。。
今までの検査結果も持参してたし、確かそこでも採血されたかな。
検査結果をひと通り見て、ひとこと。
「FSH高いね〜。」
うう、承知してます。。。
でも、とりあえずそういう人でも、先生のとこで処方している漢方と、サプリを併用して内服しながら妊娠できた人がたくさんいると。
とにかく排卵誘発剤をばんばん使うことは身体にも負担が大きいから、と。
私もしばらくそのスタイルでお世話になることに。
この先生、著書のやさしいイメージとはだいぶ違っていて、結構毒舌というか、言いたいことポンポンいう感じ。
言い方は人によってはきつく聞こえることもあると思うけど、間違ったことは言ってないし、何より、ご自身の治療経験からこの内科クリニック内での相談を始めたたいうことで、信頼できるな、と私は思いました。
そこでのフォローは、漢方とサプリを処方してもらいながら、排卵検査薬で排卵日を予測し、タイミングをとる、というもの。
しばらく通いながら、数周期みてもらったものの、なかなか結果は出ず。
そして、ある時、ついに。
「あなたね、もうあんまりゆっくりしてる時間ないね。普通は、しばらくタイミングを試して、次は人工授精、その次は体外受精と進んでいって、それをステップアップと言うけど、あなたの場合はジャンプアップと言って、すぐ体外受精に進む方がいい。
どう?
もし今すぐというのが抵抗あれば、きちんと婦人科で診てもらうようにしよう、病院紹介するから」と。
今の私なら、「1日でも早く体外受精を!!!!」と思うけど、その時はまだ体外受精にめっちゃ抵抗があった。
そこまでしなくても妊娠できるはず。。。という甘い考えもあって。
それで一旦、先生が信頼しているという産婦人科を紹介してもらうことに。
そういうわけで、ついに4箇所目へ。。。
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年末年始やお盆やらのつらさ。
閑話休題。
病院選びのことはまた後ほど綴るとしまして、今日はちょっと別のお話を。
治療中の私は、年末年始やお盆がすごくつらかったです。
年末年始やお盆って、みんな家族で実家に帰省したりしますよね。
私は、自分の実家はさておき、パートナーの実家に行くのがほんとうにしんどかった。
結婚して最初のお正月は、パートナーのご両親、妹ちゃん弟くんも一緒に国内旅行をしました。
その時は、まだ治療が必要な自分とはわかっていなかったし、ほんとに結婚直後だったのでのんきに楽しんでました。
しんどくなったのはその翌年から。
すでに治療をスタートさせていたけれど、パートナーのご両親には内緒にしていたから。
そして、家に届く年賀状は、友人知人たちの「家族が増えました!」「赤ちゃんがうまれました!」という写真付きばかり。
それを見るのもすごくつらかった。
でも、何よりつらかったのは、ほんとうにおめでたいことなのに、それを素直に喜べない自分、うらやみ、ねたみそうになる自分のこと。
自分がすごくいやな、心の狭いやつに思えてしまうこと。
そして、その微妙な心の動きをパートナーがほんとうには理解してくれないこと。
泣いて訴えたことは数知れず。
年末年始だけじゃない、電車に乗ったりカフェに行ったり、街を歩いていても、いやでも赤ちゃん連れのママやご夫婦に出会います。
その度に、うらやましくてうらやましくて、その思いのぶんだけ、妬ましいような気持ちもうまれてきて。。。
悲しかったなあ。
誰かと比べることじゃない、赤ちゃんがいる人はいるひとで、育児がとっても大変なのだし、しんどいのは自分だけじゃない、幸せそうに見えても、みんなそれぞれに人知れずしんどさを抱えているんだ、と思ってはみても、やっぱり。。。。
赤ちゃん連れの方に出会うと、どうしても直視できなくて、うつむいてばかりいました。
そんな自分の心を知られたくなくて、パートナー以外には誰にも言えなかったなあ。
そのパートナーも、私の本当の思いを理解するには何年もかかったし。
でも、治療中の方なら、わかりあえるところ、あるんじゃないでしょうか。
病院選びが大事①
私はなんだかんだで、9ヶ所の医療機関に通いました。
実は中には某T大病院(!)も含まれてます。
授かれたのはもちろん、藁にもすがる思いで通った最後の9ヶ所め。
「不妊治療」とか「不妊相談」っていうふうに標榜している産婦人科・レディースクリニックはたくさんあります。
でも、その中で、本当に自分に合っていると思われるところ、「ここでがんばりたい!」と思えるところに出会えるか、そして医療技術や支援の体制がしっかりしてるところに出会えるか・・・。
いやはや、それはとってもむつかしい。
9ヶ所。。。
これだけ転々としたのは、家を引っ越したことも大きな原因だけれど、
最初の考えが結構甘かったからだと思う。
今思えば、もっといろんな情報を集めて、あちこちに相談して、早く色々決断していれば、もう少し早道?近道?できたのかなとも思ったりするけれど、
でも、当時の私はそれでも精いっぱいだったし、なかなか人に相談しづらかったこともあるから。
病院を9か所も転々とした経緯と、今思うことをつらつらと書いてみたいと思います。
1ヶ所め。
もともと、独身の頃から婦人科健診に行っていたし、一時期海外にいて過労がたたったこともあってか不正出血があって診てもらってたレディースクリニック。
いわゆる、かかりつけ、てやつですね。
ここが今思えばびっくりで、エストロゲン、プロゲステロンなど基本的なホルモン検査をして、「あー、ストレスでホルモンバランス崩れてるだけだね!」と即答。
相方の検査も、精液を直接普通の顕微鏡にちゃちゃっと置いて肉眼でチェック。驚いたことに、理科で小学生が使うような顕微鏡。
顔をあげた先生がひとこと。
「あー、元気なおたまじゃくしだわ!ほれ見てみ!」
スタッフさんも全員、「あっはっは!」
。。。。ガクっ。
確かにホルモンはアンバランスだったから、整えるためにホルモン剤を飲んだりするのはわかるから、ひとまず様子を見ること数ヶ月。
。。。が。
エストロゲンホルモン値は改善してるはずなのに全然妊娠しないし、いつ行っても「ストレスだわ!」だけで済まされることにだんだん不信感が募ってきて。
受診について本やネットで調べた結果、「ちゃんと専門のところへ行こう」と決意。
本やネットには、「治療の特性上、通いやすさが大事」と書いてあったし、確かに、これから受けるであろう専門のいろんな検査のことを思うとそれが1番、と結論づけた私。
2ヶ所め。
↑この結果、「不妊治療」と標榜してあって、かつ、自宅からも職場からも近い某Uレディースクリニックに変更することに。
ここは産科と一緒(まあつまり産婦人科ですね。)なので、待合室にはおなかの大きい妊婦さんがいっぱい。
でもまだ初診で来た私は余裕があったから、「私も遠くない将来ああなるんだな」と思えてました。
が。
治療中の方ならみんな知ってるFSH。
初めて検査してもらって、これが30近かったのですね。
検査結果を見た医師がひとこと。
「あんた早発閉経だわ!」
実は私も医療従事者のはしくれ。
産婦人科は経験ないですが、早発閉経が何かは知ってますから、ものすごいショック。。。
しかもこの時、相方も一緒に診察室に入ろうとしたら断られた。1人ですごく心細かったし、え!なんで!?って感じだった。
卵管造影も死ぬほど痛かったし、しかも、下着を脱いで下半身スッポンポンなのに、なぜかバスタオル1枚巻いただけの姿でトコトコ歩いて検査室へ移動しなくちゃいけなくて。
カーテンは引いてあったけど、いつ人に見られてもおかしくない状況。カーテンの向こうには笑顔の妊婦さんたち。
半裸でえっちらおっちら歩いて移動する自分が情けなくて悲しくて、さすがに泣きました。。。
で、とにかくそんなわけでいきなりの「早発閉経」診断。「早く治療しないとだめだよ!もう次から薬で排卵誘発するから!」と大声で告げられて。
混乱したままの気持ちだったけど、とにかく「ここはいやだ!」と強烈に思いました。
クリニックを出てから、「私には迷ってる時間がないのはわかる。でもここはいや。薬をがんがん使ってこれから治療していくなら、なおのこと違うところにしたい」と相方に泣いて訴えました。
3ヶ所めへ続く。
はじめまして。
「新しい家族がほしい」と思い続けて6年半。
治療の末、体外受精(顕微授精)にてやっとこさっとこ授かることができました。
そしてなんとか無事に出産。
ここまでの道のりはほんとーうに長かった。
つらくなかったなんて大ウソです。
「早発閉経の疑い」と言われ、卵巣や卵子の老化のためか、全然採卵できず、運良く採れても変性卵か空胞か。
自然周期だったので、毎月毎月採卵しますが、毎月毎月涙の結果。
胚盤胞まで育ったのは、なんと!
6年半で2個のみ!!!!
それを戻したうちの最後のひとつが、今回来てくれた、私の宝物さんなのです。
しかも、発育状態があまり良くなかったようで、培養士さんには「普通なら廃棄になるところですけど、椿さんの場合はなかなか卵がとれないので、だめもとで凍結しました」と言われたのです。
グレードがよかったもうひとつの卵さんは、先に戻したけれども残念ながらだめだったんです。
「これが最後のひとつ。。。!」
と臨んだ結果が今です。
ほんとうに奇跡です。
あ、話を戻しまして。
つらくなかった、しんどくなかった、なんて絶対に言えない。
ですけれども。
それもぜんぶぜんぶ含めて、自分に必要な経験であり、時間だったんだ、と思うことができます。
「授かったからそんなことが言えるんだ」
と思う人もいるでしょう。実際私も、人のブログを読んでそう思ってましたもの。
でも、治療の後半になって、やっと、ほんとうのほんとうに、そんなふうに思えるようになっていったんです。
それは、やっぱり自分のからだとこころが変わっていったからだと思います。
その過程の中で、自分を支えてくれているたくさんの人たちにも気づくことができましたし。
それまでは、「私はがんばっている」ってずっと思っていて、むしろ、「私が」がんばってる!というふうな気持ちだったと思います。
「こんなにがんばってるのになんで!?」というような。
あの頃の自分はとってもおばかさんだけれど、あの時はあの時でほんとうに必死だったから。
傲慢で自分本位かもしれないけれど、そういう自分も否定したくない。
6年半の中で、じわりじわりとからだとこころが変わっていったけれど、それはほんとうに、今回やってきてくれた、新しい家族のおかげです。
いつか出会いたい新しい家族のことを思ってがんばってきたから、治療の後半の頃には、「まだ見ぬ小さい人が、私をこんなに元気にしてくれた」って、
ほんとうに心から思うことができた。
治療中は、そりゃあ大変だし、しんどいし、悲しいこと、せつないこともたくさんたくさんあるのだけれど、それでも、まだ見ぬ小さい人を想ってあたたかい気持ちになることができました。
そんな6年半の中で私がやってきたこと、今感じていることを少しずつここに記していきたいと思います。
治療中の、あの頃の私に言ってあげるつもりで、ここに書いていきます。